みなさんは聖徳太子をご存じでしょうか?聖徳太子は、氏や姓などの身分に依らず、個人の才能や功績に応じて位階が与えられる「冠位十二階」の制定や、日本最古の憲法といわれる「十七条憲法」の制定など、革新的な取組みを次々と行い、当時の日本という国の基盤を築いたとされ、また、そのために必要な文化や技術を取り入れるため、小野妹子を隋に派遣した遣隋使など、外交にも秀でた人物でした。それらの功績から日本の紙幣にも採用されており、7回という採用回数は歴史上で一番多い回数となっています。そんな聖徳太子は誰もが知っている、歴史上で最も有名な人物の一人に数えられるのではないでしょうか。
一方で、歴史上の研究では聖徳太子は本当に実在したのか、という議論もあります。実際に、歴史の教科書にこれまで「聖徳太子」と記述されていたのが、「厩戸皇子」と改定されるなど、その存在が疑問視されたこともありました。
しかし、「聖徳太子」という名前がこれまでの歴史の一つを形作ってきたのも事実です。太子町には聖徳太子のお墓(聖徳太子御廟)がありますが、太子が葬られて以降、聖徳太子信仰の聖地としてそれを守護する叡福寺とともに崇められ、没後1400年経った今なおその信仰は続いています。太子町という名前も昭和31年の合併の際、聖徳太子にちなんでつけられた名前です。
歴史的な検証は今後も継続していくでしょうが、聖徳太子の説いた「和を以て貴しと為す」をモットーにまちづくりを推進している本町と聖徳太子のつながりはこれまでも、また、これからも変わることはありません。聖徳太子没後1400年となる2021年には、「聖徳太子のまち」を象徴する、全長3.2メートルにも及ぶ聖徳太子像を最寄り駅である近鉄上ノ太子駅前に建立しました。これから先も太子町は聖徳太子とともにあり続けるでしょう。 太子町には聖徳太子御廟の他、歴代の天皇の御陵や関連する歴史史跡が数多く存在します。歴史に思いを馳せながら史跡を巡る、そんな時間を過ごしてみるのもよいのではないしょうか。歴史に溢れる町・太子町にぜひ一度足を運んでみてください。