竹内街道は、堺市の大小路から河内平野を東に向かい、松原市南部・羽曳野市を経て太子町を通り、二上山の南・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社へ至る全長約30キロメートルにも及ぶ日本最古の官道です。もともとは、二上山で採れたサヌカイトを採掘するための道でしたが、後に難波の港と飛鳥の都をつなぐ官道として整備されました。

飛鳥時代には中国や朝鮮半島の優れた大陸文化は、難波からこの街道を通じて飛鳥の京にもたらされ、飛鳥文化を開花させました。優れた文化を持った渡来人や遣隋使・遣唐使もこの街道を盛んに利用し、この街道は賑わいにあふれていました。

しかし、710年に都が奈良の平城京に遷されると、次第に外交路としての意味を失い、衰え始めます。しかし、聖徳太子信仰が盛んになるにつれ、街道沿いの聖徳太子御廟・叡福寺が霊場となり、太子信仰の道としての性格を強めていきます。また、中世には堺と大和を結ぶ経済の道として再び脚光を浴びます。

さらには、江戸時代になると、西国巡礼や伊勢参りなどが盛んになり、それに利用された竹内街道は宗教の道としての意味を持つようになりました。

このように、古代には遣隋使や遣唐使が行き来した外交の道、中世には堺を橿原市今井町を結ぶ経済の道、近世には伊勢参りに関わる信仰の道として、様々な役割を担ってきました。平成29年にその歴史的なストーリーが認められ、日本遺産に認定されました。


●竹内街道灯路祭り

「再発見と地域の魅力づくり」をテーマに、10月の中下旬に行われる竹内街道灯路祭り。町内の竹内街道に灯ろうが並び、幻想的な雰囲気を浮かび上がらせ、街道を綺麗に彩ります。沿道では民家を利用した軒下ギャラリーや楽器演奏などの様々な催しが行われます。