太子町には数多くの飛鳥時代を中心とした天皇・皇族クラスの古墳が集中しています。太子町内のわずか南北2キロメートル、東西2.7キロメートルの範囲に前方後円墳や方形墳など約30基ほど古墳が集中しており、一帯は磯長谷古墳群と呼ばれています。また、エジプトの「王家の谷」になぞらえて、「王領の谷」とも呼ばれ、その中心となるのが梅鉢御陵と呼ばれる、敏達・用明・推古・孝徳天皇陵と聖徳太子御廟です。他にも2つの方墳をつなげた珍しい形(双方墳)の二子塚古墳や聖徳太子によって遣隋使として派遣された小野妹子の墓があり、はるか昔の歴史をうかがい知ることができる、歴史豊かな町です。


●聖徳太子御廟

横穴式石室に聖徳太子の母、后の棺が安置されていたことから三骨一廟と呼ばれています。聖徳太子信仰の聖地として、空海や日蓮、親鸞など多くの高僧が訪れました。


●敏達天皇陵

太子町に最初に造られた天皇陵で、町唯一の前方後円墳。周辺には埴輪が並べられ、古墳時代の後期前半に築造されたと考えられています。


●用明天皇陵

周囲の空濠まで含めると1編が約100メートルにも達する巨大な方墳です。規模、構造が奈良県明日香村にある石舞台古墳に似ています。


推古天皇陵

第33代天皇の推古天皇は、日本で初めて女帝となった人物です。推古天皇陵は1辺約60メートル、高さ約11メートルの方墳で、内部には2つの横穴式石室があると考えられています。


●孝徳天皇陵

竹内街道沿いにある直径約30メートルの円墳で、他の天皇陵と比べると小規模ですが、大変美しい古墳です。枕草子に記されている「うぐいすの陵」は孝徳天皇陵だと言われています。


●二子塚古墳

双方墳で、それぞれの方墳にはほぼ同形同大の横穴式石室と石棺が納められています。地元では二子塚古墳こそ本当の推古天皇と竹田皇子の墓との言い伝えも残っています。


小野妹子墓

聖徳太子が四天王寺建立の用木を集める際、京都に建てた六角堂の初代住職となり、朝夕仏前に花を供えたことが華道の始まりと言われています。小野妹子墓は小高い丘の上にあり、華道の家元・池坊が毎年6月30日に墓前祭を行っています。